こんにちは

関です。
私には、息子がいます。
幼稚園児です。
息子といると面白いです。
いろんな経験をさせてもらえます。
ちなみに、私と息子は生年月日が同じです。
正確には、生まれ年は違うので、生まれ月日が同じというのでしょうか。
息子が誕生する前は、誕生日は、年に一度の私が主役の特別な日でした。
息子が誕生した時には、ますます特別な日になったなぁと思いました

しかし、誕生日の度に、息子が主役で、私はオマケだなぁと思うようになりました

当然の事・当たり前の事ですね、まあ 誕生日を忘れられる心配はないので・・・

誕生日が近づいてくると、一応念のため、『オレも誕生日だからねぇ~』と言っています

息子と接していると、突如 昔 私が子供だった頃を思い出す事があります。
たとえば、ワガママしているのを見て、ワガママしたのを思い出したり。
30年以上前、私が小学校の低学年だった頃の話し。
TBS夏祭りが大好きでした。
当時 TBS夏祭りは、現在の国際センターあたりでやってました。たぶん。
ヒヨコを2匹、買いました。
手のひらに乗って、かわいいヒヨコでした。
当時 私は、卵焼きが大好きでした。
〝このヒヨコは、ニワトリになって、卵を産んで、その卵で作った卵焼きを食べる!〟
という野望も持っていました。
父や母や兄弟からは、『無理だよ』とか『そんなに長く生きられないよ』とか『すぐ死ぬよ』とか
『夏祭りのヒヨコは、全部がオス(メスだったかも?)だから、卵は産まないよ』とか
『本当にニワトリになったら、鳴き声がうるさいよ』と言われました。
ヒヨコは、元気でした。
ずんずん育ち、大きくなりました。
オスとメスでした。
ニワトリになりました。
父は、庭に、本格的なニワトリ小屋を造ってくれました。
毎朝、元気いっぱい鳴きました。
うるさかったです。
ご近所の方からの苦情もあったと思います。
その頃には、ニワトリが怖いので、近づく事もできませんでした。
父が、ニワトリに世話をしていました。たぶん。
もしかしたら、居候の方が、世話をしてくれてたかもしれません。
タマゴを産みました。
その卵は、食べれませんでした。
卵料理を見ると、『ウチのニワトリのじゃないよね?』と確認してました。
その頃には、以前の野望について私は話しませんし、野望も無くなってました。
母や兄弟からは、『産んだ卵で作った卵焼き、食べんじゃなかった!?』と言われました。
父は、私の野望について、何も言いませんでした。
野望についてどころか、私が一切ニワトリの世話をしない事についても、何も言いませんでした。
ある日突然、ニワトリは居なくなりました。
子供ながらに、ニワトリはどうしたのか聞いてはいけないような気がして、尋ねませんでした。
いまだに、尋ねていません。
いまだに、父とニワトリの話題をした事はありません。
何とも言えない思い出です